2010年9月22日水曜日

それから

夏目漱石、「それから」を読了。精緻な人間心理の描写には思わず舌を巻きます。

時代が色濃く根づいています。実に今の時代が、いわゆる儒教的、家族的な道徳から開放されていることが、よくわかります。当然ではありますが。

個人的に気に入ったのは、以下の文章。

「なぜ働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと大げさに言うと、日本対西洋の関係がだめだから働かないのだ。第一、日本ほど借金をこしらえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、いつになったら返せると思うか。そりゃ外債ぐらいは返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ちゆかない国だ。それでいて、一等国をもって任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。

だから、あらゆる方向に向かって、奥行きを削って、一等国だけの間口を張っちまた。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争する蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんなわれわれ個人の上に反射しているからみたまえ。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、ろくな仕事はできない。ことごとく切り詰めた教育で、そうして目の回るほどこき使われるから、そろって神経衰弱になっちまう。話をしてみたまえたいていはばかだから。自分の事と、自分の今日の、只今の事よりほかに、何も考えてやしない。考えられないほど疲労しているんだからしかたがない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退もいっしょに来ている。日本国じゅうどこを見渡したって、輝いている断面は一寸四方も無いじゃないか。ことごとく暗黒だ。その間に立って僕一人が、なんと言ったって、何をしたって、しようがないさ。」

いつの時代も暇で少し頭の良い人は、こういう事を考える模様です。

デスノートやコードギアスでもたびたび表現される「ぼくが悪いんじゃない。世の中が悪いんだ」的な発想は、倦怠感が熟成された2000年代に顕著な発想のように捉える人もいますが、日露戦争後の明治時代の閉塞感の中でも、同じ思考が存在していたことは、興味深いですし、また、世の常であるのかもしれません。

さて、この主人公、代助の言葉は、漱石自身の明治批判であるとも言われています。
そして、自分自身も軽薄さや、それを伴なう言動を嫌う傾向があるので、このくだりを気に入ったのです。もっとも、軽薄さを憎む理由は、よく分かっていませんが。。。

道徳の敗退という一言は、いい表現です。

労働による道徳の敗退というものは回避できると考えており、日々の生活に、ある種の歴史的知性に裏打ちされた発想を根付けることが、個人的なテーマではありますが本当に難しいところです。

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